阿部耕也の紅茶日記
第4回「イギリスの紅茶はおいしいのか不味いのか」
日本人にとっておいしい紅茶とイギリス人にとっておいしい紅茶は多分違うのでしょう。当たり前なのでしょうか、いえ私にはなかなかそう思えなかったのです。
おいしい紅茶とは「色が輝くように澄んで、優雅な香りに満ち、甘みとコクと軽快な渋みのバランスが絶妙で、のどごしが良いもの」だと思い込んでいました。ミネラルたっぷりのお水はこのような紅茶を入れるには向きません。水に溶解しているカルシウムやマグネシウムのイオンが紅茶のカップ水色や香味に直接関わりを持つ成分と結合してしまうので、その特徴を押さえ込んでしまうのです。イギリスはロンドンに限って言えば硬水地域です。ですから濃淡は紅茶の種類によりますが、くすんだ水色と「どれも同じ感じ」がする香味であったことは率直な印象です。でも次の2点の考察から軟水が紅茶に向くという判断は決めつけであったと思うようになったのです。
まず「イギリスの紅茶がおいしい」という実感を持てたことです。先程も言いましたが紅茶エキスの溶出が抑えられているため渋くなく、ほんの少しのミルクを注すだけでさらに飲みやすい茶液になってくれます。ホストマザーとの1回のティータイムに3杯は必ず飲みました。外で飲む時もティーポットの紅茶とさし湯を全て使い切っていましたので、5杯は飲んだはずです。2度目のさし湯のサービスを受けた時などは3番煎じで薄々で熱いだけの紅茶にしかならないのですが、それでも嬉しかったことを覚えています。彼らの水に合わせてブレンドされている紅茶をご当地で飲んで不味く感じるわけがなかったのです。
そして彼とのおしゃべり以後次第に「紅茶に硬水」を肯定するようになったのです。その彼とはボンドストリートにある『ポストカード・ティーズ』>というお茶専門店のオーナーのティムです。「オーナーの人柄に惹かれ、通いたくなるお茶専門店」とロンドンの紅茶事情を紹介する本に書かれていた通りでした。彼は少し日本語が話せました。それもそのはず彼のパートナーは日本人女性で、私が訪ねたその日は日本での挙式までカウントダウンが始まったギリギリのタイミングで、3日後では彼に会えなかったのです。挙式とお茶の買い付けに3週間を充てると言っていました。この店で扱うお茶は1杯1.5ポンドで試飲することが出来ます。私はダージリンをお願いしました。ダージリンがまさにダージリンの味がすることに心から感動しました。お水にこだわりがあるに違いないと思った私はその正体を訊ねてみました。すると「ごく普通のロンドンの水道水」とのことでした。つまり硬水です。そこで私は思い切って「紅茶には軟水が合うのではないか」と質問してみました。生真面目な彼が軟水を使えば、水色に冴えがなく芳香が弱いこのダージリンの不完全さを補えるのにと残念に思ったのです。すると彼は日本語で一言一言を絞り出すようにゆっくりと話し始めました。「う~ん、、、確かに水色に関して言えば軟水に敵わない。けれど自分にはどの土地のお茶も、ここロンドンの水道水で入れたものがおいしいと落ち着けるんです。静岡から買い付けるお茶には水がセットで送られてくるし、中国でロンジンを買い付けた時も水の指定を受けました。それぞれを試してみましたが、結局ロンドンの水道水で入れたものと変わらないと感じています。本来は軟水か硬水かでは不十分で、そのお茶ごとに最適のお水を当ててやればいいのでしょうが、う~ん、、、」自分たちの土地の水を否定出来ない。イギリス人にとっておいしい紅茶と日本人にとっておいしい紅茶は違うと言いたかったのでしょうか。
2杯目はアッサムをお願いしました。紅茶は奥で点てるのですが、今回は随分長く時間をかけています。やっと戻ってきた彼が言うには、なかなか納得いかず何度か点て直したのだそうです。「これはダメです」と曇り顔の彼。心のこもった丁寧な味がしました。もうしばらく話をした後、是非家で入れてみてと「Golden Assam」と書かれた小さな冊子と2~3杯は楽しめる量のアルミ袋に入ったアッサムのリーフをくれました。そうそう一番好きな紅茶は(最近は)アッサムと言っていたっけ。ところであれあれ??お茶を手渡すと彼は「さようなら」と奥へ行ってしまいました。私は慌てて試飲代を支払うべく彼を追いました。「1.5ポンド」と彼は仕方なくスタッフに告げました。納得がいかないアッサムの試飲代は請求出来ないと考えたのでしょうか。お茶の知識があるというより、お茶への愛が深い人でした。
では日本人にとっておいしい紅茶とはどんな紅茶なのでしょう。それは軟水を使い日本人の精神性を持って点てた紅茶ではないかと思うのです。軟水の良さは紅茶の農作物としてのキャラクターを引き出す点にあります。日本は四方を海に囲まれた恵まれた食環境にあります。さらに四季があり折々の美味を味わうことが出来るのです。紅茶もそのように味わうことが私たちには向いているのかもしれません。「滋味とは、地味に通じ、けばけばしさや、華やかな美味をさすのではなく、心を落ちつけ、しみじみと味わうところに自然に湧きあがる美味・・・心に通じる味とでも言えましょうか」(NHKテキスト昭和45年5月号「特集 豆腐料理」より)この放送の講師である辻嘉一氏は「滋味とは無きがごとき味をさすのではないかと感じた」と言います。軟水は下手をすれば欠点までも引き出してしまう矛盾を抱えています。だからこそオークションで少しでも良いお茶をせり落とします。ブレンドをしないのは日本人固有の季節感の美味を楽しむ繊細への信頼ではないのでしょうか。日本人のDNAに刻みこまれている血のようなものに大変良く応えてくれたのが『新茶の紅茶』です。今その哲学に胸が震える思いです。