阿部耕也の紅茶日記
第5回 アフタヌーンティーから思うこと
17世紀半ば東洋からイギリスに運ばれてきたお茶はとても高価なものでした。この茶を喫するという贅沢な行為は、王侯・貴族から始まり、上の層から下の層へ200年という長い年月をかけて段階的に広まってゆきます。紅茶の供給が潤沢となると、事につけ紅茶を飲むという日常習慣が彼らのライフスタイルになり、いよいよ紅茶はイギリス人の国民飲料となっていきました。私自身もホームステイ先でたくさんのティータイムを経験しました。しかしそれはケイの世代までの話です。彼女の娘はダイエットコーラ、レモネード、フルーツジュース、、、と紅茶を飲む姿を見たことがありませんでした。
当時、一日の中でたくさんあったティータイムにはそれぞれ名前が付いていました。『アフタヌーンティー』もその一つですが、こちらは日を特定して、「社交」を目的に主婦が『女主人』としてお茶会を開催する、つまりはティーパーティーを言います。午後のおやつ時に紅茶を飲むという行為とは区別しています。今ではマナーハウスやホテルの観光客用のサービスとして当時の名残りをとどめているのみとなっています。第3回にリポートした『(ホテルの)アフタヌーンティー』がそれに該当します。日本でも『(ホテルの)アフタヌーンティー』を楽しめます。イギリスでは古めかしいスタイルでも、日本においては紅茶文化の歴史的背景がないから、私たちはその「優雅さ」に素直に感動出来てお得です。サービスの理想がそこにあるような、夢のようなおもてなしを受けることが出来るのですからね。
さて、私は『アフタヌーンティー』を始めたと言われているある女性の館を訪ねました。その女性とは第7代ベッドフォード公爵夫人のアンナ・マリアです。そこまでロンドンから快速で50分、駅からはタクシーで15分ほどかかります。19世紀中頃に遡ってお話を致しましょう。
『ブルードローイングルーム』と呼ばれる客間(ドローイングルームとは応接間のこと)で彼女は友人たちと紅茶とおしゃべりを楽しんだそうです。当時の習慣では朝食から夕食までの時間が長く、夕方も5時頃になると空腹で意気消沈してしまう。ところがこの時間にバタ付きのパンと紅茶で軽食を摂ってみたら元気を回復することが出来たので、この事を貴族仲間に吹聴し招待状を出しまくったことがその始まりと言われています。
部屋の中央奥には丸いティーテーブルに2人分のお茶のセットが展示されています。館内写真撮影が禁止されているため、手帳にスケッチして帰りました。そのセッティングを再現してみました。登場するのはうちのお茶道具たちです。
さて併設のティールームではもちろん『アフタヌーンティー』を注文しました。サンドイッチはサーモン&キューカンバーを選びました。スコーンはプレーンを、ケーキはマーマレードケーキを選びました。全て食べました。
イギリス人は集うことが好きだなぁと思うことがずい分ありました。ピクニック、パブ、スポーツ観戦‥集いの枠は多種多様にあって、楽しみを共有することをとても喜びます。『アフタヌーンティー』もそんな社交の手段として19世紀中頃から20世紀初頭にかけて注目され流行したのでしょう。今でも田舎のティールームなどは地域のコミュニティーであり、おじいちゃまもおばあちゃまも、家に閉じこもることなく元気にやって来ます。大きな甘いケーキを嬉しそうに頬張る姿がはつらつとお元気で、最後は「See You」と互いに声を掛け合います。これまで彼らはそんな風に何千日「See You」を交わして来たことでしょう。
日本人は戦後の復興と経済の急成長の中で、休息や余暇をとることに罪悪感を感じながら走って来たように思います。『アフタヌーンティー』など贅沢の極みのように抵抗のある方もいらっしゃるかもしれません。しかし彼らの国においては、紅茶文化が発展していく一つの段階であって、それらを消化吸収して今の英国紅茶の余裕があるのです。
イギリスでたくさんのティータイムを体験して、これまで枠(カタチ)に捉われ過ぎていたことを反省しています。彼らは「楽しみを共有する」ことを何よりも大事に大切に考えます。それこそが紅茶にまつわる全ての時間に共通する心です。